2013年01月20日

ウィルコ・ジョンソン

今回の来日のニュースを最初に読んだのはいつだったかな。逐一来日情報を追っかけてる相手じゃなかったから、「なんだ、また来るのか。つい最近来たばっかりじゃなかったっけ」というのが率直な気持ちだった。もちろんそのニュースを知ったときには僕はもうマニラに引っ越してきていたから、わざわざライヴを観るために日本に行くつもりもなかった。まさか、こんな話になっているなんて知りもせずに。

もう来日公演もとっくに終了し、ネット上のあちこちで沢山話題になっているから、今頃になって取り上げるのもなんだか間の抜けた感じではあるんだけど、やっぱりちょっと書いておきたくて。

今回の来日公演の初日だった東京公演の確か前日だったと思う、ウィルコ・ジョンソンが末期のすい臓がんだということを公表したのは。化学療法を受ければ延命の可能性はあったけれど、あえてそれを拒否して、予定通り来日公演を決行し、その後フランスでの短期ツアーと英国でのフェアウェルツアーを行い、最後のCDを発表して自らの活動を終えるとのこと。

もし、日本公演を発表したときにこのことを発表していれば、公演の売り上げなんて全く心配する必要なかったろうに、あえて公演前日までそれをひた隠しにし(もちろんそんな心配なんてする必要もなく、東京・京都の両公演ともソールドアウトだったようだけど)、そのうえで満員の観客に対しては、これが最後だとお互いに認識した感動的なライヴを行ったようだ。沢山のゲストが飛び入り出演したらしく、ファンにとってはたまらなかっただろうね。

東京公演では、知らせを聞いて駆けつけたけれども会場に入れなかったファンのために、会場の外にモニターを置いてくれたりしたらしい。そして、ウィルコは今回の公演の収益を全て東日本大震災の被災地に寄付するとのこと(自分もチケット代を払ったとかいう話も)。そのために病を押して最後の日本公演を決行したのか。

思えば、さっき僕が書いた「つい最近来たばっかり」というのは、東日本大震災の直後の11年4月のことだった。あの、来日公演が軒並みキャンセルされていた時期に(そりゃそうだろう、日本人だって東京から脱出するべきかなんて話をしていた頃だったからね)、そんな時だからこそと来日を決行してくれたんだった。そして、今回の寄付。なんでそんなにまでしてくれるんだろう。日本人として頭が上がらないよ。


最初に書いたとおり、僕はウィルコ・ジョンソンの熱狂的なファンというわけではなかった。唯一、彼のことを観たことがあるのは、87年にイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズと一緒に来日したときのことだ。確か前座としてウィルコ・ジョンソン・バンドが登場し、本編でもブロックヘッズの一員としてウィルコが(アンコールだけだったかな)演奏していたのを覚えている。ライヴ自体は物凄くよかったという記憶はあるものの、細部は全く覚えていない(そういうのがもったいなくて嫌だから、観たライヴの内容はこと細かく書き残しておこうと思ってこのブログを始めた。そのライヴより20年近くも後の話だけど)。でも、まだ髪の毛のあったウィルコがあの素っ頓狂な顔をしてステージの上をカニみたいに横走りする姿は今でも脳裏にくっきり焼きついているよ。

先日、英国でのフェアウェルツアーの日程が発表された。3月6日のロンドンから始まる、たったの4公演。ウォルヴァーハンプトン、ホルムファース、グラスゴーと、選択基準のよくわからない4都市(ホルムファースなんてどこにあるのか知らなかった。マンチェスターとリーズのちょうど中間ぐらいなんだね)。見たところ、どこも小さな会場のようだ。明日発売のチケットはきっと瞬時にソールドアウトだろう。行ってみたいとは思ったけど、再来月なんて到底無理。それに、彼のことをずっと追っかけてきたファンからお別れツアーのチケットを横取りするわけにもいかないしね。

そのかわりと言ってはなんだけど、先日出張のついでに日本に置いてあったウィルコ・ジョンソン関連のCDを持ってきた。これ以外にもドクター・フィールグッドのアルバムがいくつかあったはずなんだけど、探し出せなかった。せめて、これを聴きながらマニラで擬似お別れツアーをしよう。あとは、最後のCDが発売されたら、真っ先に正規の価格で買って、日本のことをずっと気にかけてくれた彼に恩返ししないとね。

DSC01575.JPG



posted by . at 23:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月08日

ラスヴェガスにて 2

2年前のあの痛恨の出張時からここのところ毎年1月初旬恒例となっているラスヴェガスに今回も来ている。日本からでも決して近くはない場所だけど、マニラからだと成田まで4時間、飛行機を乗り換えてLAまで9時間、さらに乗り換えてラスヴェガスまで1時間と、乗り換え時間も入れると20時間ほどの長旅。

今回は、一昨年・昨年と続けて泊まったハード・ロック・ホテルではなく、ラスヴェガス大通り沿いにあるミラージュというホテル。今年は誰の写真の部屋かなと期待していたので、ちょっと残念。ところが、ミラージュといえば、ここを読んでくださっている方でも知ってる人はご存知だろう(あたりまえ)、あのシルク・ドゥ・ソレイユの「LOVE」の本拠地だ。そう、ビートルズをモチーフにした公演。ホテルの外壁にも4面にわたってでかでかと広告が。

一昨年・昨年と今回が違うのはホテルだけではない。今回は、6年前に初めてここに来てMGMグランドで「KA」を観たとき同様、取引先の勉強会と接待が目的ではるばるラスヴェガスくんだりまで来た。7日の早朝にマニラを出て、20時間かけて飛んできたのに時差でひっくり返されて、ミラージュにチェックインしたのは7日の午後2時。到着日の夜から早速簡単な勉強会があったんだけど、それが終わったら取引先の皆さんは時差ぼけで速攻部屋に退去。で、調べてみたら本日の「LOVE」の最終公演が21時半から。今20時50分。これはもう、時差ぼけとか言ってられないよ。早速その場でチケットを押さえ(迷わず一番高い180ドルの席)、スーツを着替える暇もなく入場。

love entrance.jpg

かなり満席に近かったのに、そんな直前に取った割にはさすが180ドルのすごくいい席で、前から6列目(というか、前にいくにつれて細くなっている場所だったから、僕の目の前には誰もいない)、演者がどんどん出てくる通路際という、臨場感たっぷりの場所。開演前、まだ携帯禁止のアナウンスが入る前に僕の席からこっそり撮った写真がこれ。通路際とは言っても、ステージは360度どちらが前とか後ろとかないから、全然気にならない。砂かぶり感満点。

love stage.jpg

シルク・ドゥ・ソレイユの記事を書くときはいつもネタバレしないように苦労するんだけど、今回もできるだけ内容がわからないようにしよう。とはいっても特にはっきりとしたストーリーがあるわけでもなく、この公演のサントラ盤を聴いたことがある人ならご存知のとおり、ビートルズの歴史を順に追っているというわけでもない。

Love.jpg
『Love』

確か06年にこのサントラが出たときは結構な賛否両論だったと思ったけど、公式音源もお蔵だし音源も含めてビートルズの演奏やスタジオでの台詞などをジョージ・マーティンと息子のジャイルズがマッシュアップして作り出したこのアルバム、僕はまあ面白いなとは思って聴いていたんだけど、いざ目の前で繰り広げられる公演を観ながら聴くともう印象が全然違う。これ凄い。

たとえば、「A Hard Day's Night」のあの「ジャーン」ていうイントロが「The End」のドラムソロに繋がり、歌が入るときにはそれが「Get Back」になっているなんて、ビートルズのオリジナル信望者からするととんでもない冒涜なのかもしれないけど、目の前では例によって人間業とは思えないような十数人によるアクロバットが展開しているもんだから、もうこれはこの人たちのためのオリジナル音楽だと思えてしまう。

「KA」ほどもの凄いメカニカルなステージではないが、それでもさすがラスヴェガスのレジデント・ショー、ステージの形がどんどん変形したり、下からいろんなものが出てきたりと、ツアー・ショーでは味わえない醍醐味。いつものシルク・ドゥ・ソレイユと違うなと思ったのは、大きなシャボン玉を沢山作ったり、レンガの建物を壊したりと、偶然性に頼るような演出がいくつかあったこと。あと、演者がステージ上で英語を使っているのを初めて聞いたよ。まあ、音楽自体がいつもと違って英語の歌詞付きだからね。きちんと英国訛りだったのは、当然だけど感心。

「Lady Madonna」のときに出てきた黒人女性、お腹が丸見えだったんだけど、臨月かと思うほどの大きなお腹。きっと歌のテーマに合わせて着ぐるみみたいなのを着てるのかなと思ってたら、その後大団円で別のドレスを着て出てきたときもしっかりと大きなお腹。あれってほんとに妊娠してたんだ。大丈夫なのかな、あんなに激しいアクションして。隣にいた黒人男性とやけに親しげにしていたから、きっとお腹の子のお父さんはあの人なのかな。

その黒人男性は、大団円で僕の隣を走り抜けてステージを往復するときに僕の方を見てVサインするから、カーテンコールのときに親指を立てて返事してあげたら、左胸に手を当てて挨拶してくれたよ。砂かぶりで観たいい思い出のひとつ。他にも、あれ何の曲だったかな、ステージから前方の客席全部を白い布で覆ったときには、僕のいた場所はゆらゆらと揺れる布ですっぽり覆われてしまって、ステージがぼんやりとしか見えないとか(それはそれで楽しい)。

スクリーンに時々映されるビートルズの映像なんかも含めて、普段のシルク・ドゥ・ソレイユとはまた違った楽しみが沢山。それでいて、アクロバットはかなり激しいし、恒例の幻想的なシーンも感動的だし(「Octopus' Garden」の海底のシーンとか)、これはかなりお勧め。ビートルズをよく知らない人が普通のシルク・ドゥ・ソレイユ以上に楽しめるのかどうかは僕にはわからないけど、音楽ファンがシルク・ドゥ・ソレイユをまず何か体験してみたいというなら、まずはこれかな。もっとも、そのためにラスヴェガスまで来ないといけないのがかなりのネックではあるけれど。

終了後にギフトショップで見かけた、4人のサイン入りのポールのベース。こんなのを見られただけで、今回はハード・ロック・ホテルじゃなくてもよかったよ。

paul's hofner.jpg

あまりに混雑していたから何も買わずに出てきたけど、「LOVE」製作にまつわるドキュメンタリーDVD『All Together Now』が20ドルだっていうから、このホテルにいる間にまた時間見つけて買いに行こう。

さてと、時差ぼけが逆に効いてきてもう夜中の2時だというのに全然眠くないけど、今寝ておかないとまた明日大変なことになるから、さっさとシャワーしてもう寝よう。出張初日からいいもの観れてよかった。この後も無事過ごせますように。

love ticket.jpg

ちなみに前回の「ラスヴェガスにて」という記事は「非音楽的」カテゴリーに入れたんだけど、さすがに今回のを非音楽的と呼ぶのはあまりにも抵抗があるね。というわけで、「雑記」カテゴリー、と。
posted by . at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

一子相伝 - Ethan Johns

If Not Now Then When.jpg
『If Not Now Then When?』

後に自分の人生に関わってくる人と、知らなかったけれど実はずっと昔に出会っていたなんてことがたまにある。話をしていたら、実はその人と僕は幼稚園で同じ組にいたということがわかって、ずいぶん昔の写真アルバムを引っ張り出してきたなんてこともあったなあ。

ジョン・ハイアットの出世作『Bring The Family』に続く1988年の『Slow Turning』が僕の大のお気に入りアルバムだということは、ずっと昔にサニー・ランドレスを特集した記事に書いたことがある。今ではもう何十枚になるのかわからないほどコンスタントにアルバムを出し続けているジョンの全作品の中でも、僕の中ではトップ3に入るほど大好きなアルバム。

そのアルバムのプロデューサーが、有名なグリン・ジョンズだったことは当時から意識していた。まだ僕が洋楽を聴き始めた中学生の頃、カリフォルニアのバンドであるイーグルズの初期のアルバムがからっと陽気なカリフォルニアサウンドでなくどことなくくぐもった音なのは、英国のプロデューサーであるグリン・ジョンズの仕業だということを何かで読んで、それまで何のためにいるのかよくわからなかったプロデューサーという役割を把握し始めたきっかけになった人だから。

でも、サニー・ランドレスや(今思うとグリン・ジョンズ人脈だったんだろう)初期イーグルズのバーニー・レドンなんていう豪華ゲストに混じってクレジットされていたイーサン・ジョンズという名前には、そのときは特に目を留めることはなかったし、ましてやその彼が、同姓のプロデューサーの息子だなんてことは当時は知らなかった。

そのアルバム、そして翌89年の『Stolen Moments』(これもグリン・ジョンズのプロデュース作)でギター、ドラムス、マンドリンなんて多彩な楽器を演奏していたイーサン某のことを僕がはっきり意識するようになったのは、それから17年も経ってからのこと。このブログを始めたばかりの頃に書いた記事で取り上げた、レイ・ラモンターニュの『Till The Sun Turns Black』にプロデューサーとしてのみならず、マルチ・プレイヤーとして主役のレイと共にほとんどの楽器を演奏していたのを知ったときだ。

その記事にも書いてあるけれど、今に至るまで大好きなそのアルバムがあれほどまで素晴らしいものに仕上がったのは、プロデューサーであるイーサン・ジョンズの貢献が相当大きかった。それからだ、僕がよく知らないアルバムを買うときにこのプロデューサーの名前を頼りにし始めたのは。調べてみたら、買った当時は気にしていなかったけど僕の大好きなジェイホークスの『Rainy Day Music』もこの人のプロデュースだったし。

さらに調べてみると、この(僕の中では既に名プロデューサーの地位を得ていた)イーサン・ジョンズが、なとかの名プロデューサー、グリン・ジョンズの息子だということを知ってびっくり。ミュージシャンの子供がミュージシャンになる例は沢山あるけど(そして、ほとんどの二世ミュージシャンは残念ながら彼らの親ほどの才能に恵まれることは稀なんだけど)、親子二代で名音楽プロデューサーだなんて。

そうやってさかのぼって調べていて気づいたのが、冒頭に書いたジョン・ハイアットのアルバムクレジット。そうか、僕はこのお気に入りプロデューサー兼マルチ・プレイヤーと、もう20年以上も前に既に出会っていたんだ。気が合う人と話をしていたら、実は相手が幼稚園の同じ組だったというぐらいの驚きと喜び。


相変わらず前置きが長くなってしまった。今日取り上げるのは、そのイーサン・ジョンズが自分名義で発表した初のアルバム。ずっと裏方・脇役だった彼が意を決して表舞台に立つことを決めたものの、いざ一人でステージに立とうとすると足がすくんでしまう。果たして自分の歌なんて誰が聴いてくれるものか、本当にお客さんは入っているんだろうか、やっぱり止めておこうか、でも、今やらなければ一体いつできるっていうんだ? というタイトルとジャケ。

さっきのレイ・ラモンターニュをはじめ、彼がこれまでプロデュースしてきた数々のアルバム(ライアン・アダムスの『Gold』や『29』、ローラ・マーリンのセカンド以降、キングス・オヴ・レオンの諸作など)を知っている人なら、きっとイーサンのソロアルバムはこんな音になるんだろうな、という予想そのままの音。イーサン自身はアメリカのミネアポリス生まれのようだけど、父親のグリンはれっきとした英国人。なのにこのどっぷりディープ・アメリカンな音。

謙虚なアルバム・タイトルにしては、しっかりしたいいアルバムだと思う。曲もよく書けているし、レイ・ラモンターニュほどではないけれど、渋味のあるいい声だし。今のところ僕の一番のお気に入りは、木枯らしと雷鳴のような効果音がスローな曲調に沁みるA面ラストの「The Turning」かな。

当然のごとく殆どの楽器を自ら演奏しているが、曲によって結構地味に豪華なゲストが。さっき名前を挙げたライアンやローラはもちろん、A4「Red Rooster Blue」ではベースをビル・ワイマン、キーボードをイアン・マクラガンが担当していたりする(曲の最後で大笑いしているのは誰だろう)。B1「Rally」でベースをダニー・トンプソン、フィドルをデイヴ・スワーブリックが弾いていたりするのは、きっとお父さん人脈なのかも。1曲でクリス・ホランドがオルガンを弾いてるけど、どういうつながりなんだろうか。

あれ?と思ったのは、当然自分のアルバムは自分でプロデュースしているものと思いきや、曲によって5人のプロデューサーが別々に担当している(そのうち2人はライアンとローラ)。ライアンのトラック「Don't Reach Too Far」は彼がベースとドラムスを演奏していて、いかにも彼らしいロックンロールなんだけど、それでもアルバムを通してとっちらかった印象がないのは、イーサン・ジョンズ印のミックスのお陰か。

去年の11月にひっそりと発売されたこのアルバム、今のところLPでしか出ていないようだ(上にリンクを張ったアマゾンだと結構値段が張るけど、イーサンのサイトではもう売り切れになってるから、LPが欲しい人は金に糸目をつけてる場合じゃないかも)。来月CD版が出るようなので、一般的に話題になるのはそれからかな。ちなみにLPは(多分)180グラムの重量盤、ゲイトフォールドのジャケットに、曲毎に歌詞とイラストのついた22ページのブックレット付き。

このアルバム、かなり気に入って聴いているんだけど、残念ながらLP版にはMP3のダウンロードコードはついていないから、日常的にMP3プレイヤーとかで繰り返し聴くにはやっぱり来月出るCDも買うしかないのかな。アマゾンだとCDも結構な値段がついてるね。なんとかならないものか。
posted by . at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | アルバム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。