2012年10月28日

目隠しフクロウ - Neil Halstead

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Neil Halstead 『Palindrome Hunches』

ニール・ハルステッドの新作は、これまでに増して簡素で朴訥としたアルバムになった。スロウダイヴからモハヴィ3を経てこのソロ3作目に至り、彼は自分の歌とそれを取り巻く必要最小限の音以外のものをどんどんそぎ落としてきたように見える。

それなりにポップな感触を湛えていた前2作に多少なりとも近いのは、アルバム中唯一と言っていいほどの明るいメロディを持ったアルバム2曲目「Bad Drugs And Minor Chords」ぐらいか。あとはもう、ほんとうに淡々と、簡素なメロディを、アコギ、ピアノ、ヴァイオリン、ウッドベース、バンジョー、鉄琴、ハーモニウムといった電気を通さない楽器だけで、静かに、ときに悲痛に奏でているだけ。

例えば、3曲目「Wittgenstein's Arm」(これは実話を基にした歌らしい)にはこんな歌詞がある。

  左手だけで弾ける曲を書いてくれへんか
  俺は前の大戦で腕なくしてしもたんや
  ピアノなんて最初から習ってへんかったらよかった

自殺した兄弟の描写とともにこんな悲しい独白があり、「この家には死が脈々と流れてる」と歌う。そんな歌詞さえ聴かなければ(読まなければ)これも優しげなメロディを朴訥に歌っているだけの曲なんだけどね。

かと思えば、アルバムタイトル曲「Palindrome Hunches」(回文を作る直感?)では、アイリッシュバーに座るカンザス娘のことを想い(その娘が回文好きなのか?)、回文を作っては自分で突っ込むという、そこはかとなく可笑しい歌詞も。

  ガチョウは神を見る?(Do geese see god)
  そんなことはないと思う
  ああ、悪魔がナターシャを見る(Ah satan sees Natasha)
  そう、見るね

いずれにせよ、歌詞にとらわれずに聴けば、彼の穏やかな歌声ともあいまって、実に秋の夕暮れ向きのいいアルバムだと思う。そういえば、前に作った「21世紀の秋の夜長に」というやつに、この人の前作から1曲入れてるね。僕にとっては秋を代表するアーティストだということか。

このアルバムは、通常のスタジオでの作業に飽きてしまったニールが、プロデューサーのニック・ホルトン(Nick Holton - オールミュージックで調べても彼のプロデュース作ってこの1枚だけみたい)の子供達が通っている小学校の音楽室で、2回の週末を使ってライヴ録音されたものらしい。子供達の小太鼓やら鉄琴やらトライアングルやらがそこらじゅうに沢山置いてあって、「このレコーディングで最も難しかったのは、全曲に鉄琴を入れたくなるのを思いとどまること」だったそうな。なんかわかる(笑)

このアルバム、上に写真を載せた通常盤でなく、米アマゾンで見つけた500枚限定だというアマゾン限定バージョンを買ってみた。
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見てのとおり、ノート状になっていて、内側の各ページに1曲ずつ手書き(を印刷した)歌詞が載っている。後ろの方には4ページにもわたるライナーも。
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お世辞にも読みやすい字ではないんだけど、曲によってはおそらくニール自筆のイラストなんかも載ってて、ちょっと楽しい。
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CDは最後のページにスポンジみたいなので留めてある。こういうのってたまにあるけど、なんだか中央のスポンジがすぐ劣化しそうで、ついCDの出し入れも恐る恐るになってしまうんだよね。
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このバージョン、日本アマゾンでも買えるみたいだけど、今見てみたら4270円なんてとんでもない値段がついてるね。写真いっぱい載せて自慢しておいてなんだけど、その価格ほどの価値はないと思うので(苦笑)、米アマゾンから取り寄せようという気のない人はおとなしく一番上のアフィリエイトのリンク踏んで日本で買ってください。この目つきの悪そうな(?)目隠しフクロウのイラストは同じだから。
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2012年10月21日

美ジャケ大賞 - Dylan Mondegreen

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Dylan Mondegreen 『Dylan Mondegreen』

デビュー作でなく、キャリアを積んでからのアルバムをセルフ・タイトルにすることは、そのアーティストにとってどういう意味を持つんだろう。有名どころではビートルズの白いやつがそうだし、サザンオールスターズもデビューして10年以上経ってから(ビートルズのホワイト・アルバムを意識したであろうジャケの)セルフ・タイトル作を出している。ディープ・パープルだったら全盛期前夜のサードアルバムがセルフ・タイトルだし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドもニコ抜きのセルフ・タイトルはサードだね。有名じゃないところでは僕の最近のお気に入りの一人、ゲイリー・ジュールズも3枚目がセルフ・タイトルだ。

一般的には、ちょっとマンネリがかってきたところで心機一転、初心に戻って「これが私の代表作」という気持ちで自分(達)の名前をアルバム・タイトルにするんだろう。まあ、そのわりには必ずしもそのアルバムがそのアーティストの代表作かというと、やや微妙なケースが散見される気がする。名前負けというんじゃないんだろうけど、やっぱり作る方も聴く方も、セルフ・タイトル=代表作みたいに構えてしまうんだろうか。

09年のセカンド『The World Spins On』から3年振りとなるディラン・モンドグリーン待望の3作目。07年のデビュー作『While I Walk You Home』から脈々と受け継がれる美ジャケの中央に、極力目立たないように薄桃色で記されたDYLAN MONDEGREENの文字が、このアルバムがディラン・モンドグリーンことボルゲ・シルネースの会心の作であることを控えめに主張している。さて、その主張が名前負けしていないかどうか、まず聴いてみよう。

前2作に比べて、若干音が派手というか、いくぶんきらびやかになった気がする。もちろん、前2作もキラキラと爽やかな音だったけれど、今回プロデューサーにイアン・カット(Ian Catt - セイント・エティエンヌ等のプロデューサー)を迎えているというのがこの変化をもたらしているんだろうか。いつも大所帯でアルバムを作る人ではあるけれど、今回もストリングス・セクションやサックス、フルート、果てはスティール・ドラムスまで入ってる(A面ラスト「It Takes Two」ではそのスティール・ドラムスがイントロで効果的に使われている)。

シェルフライフ・レコーズ所属となり、今回がアメリカでの初リリースだというのも、セルフ・タイトルにした理由のひとつだろう。あくまでもこれまでの自分の色は崩さず、でもアメリカ市場でもきっちり受けるように、有名プロデューサーを立てて、派手目の音作りにしてきている。別に迎合しているとかそれがよくないとか言ってるわけじゃない。もっと広く聴かれるべきアーティストだと思うからね。

欲を言えば、ファーストの「That Mortal Kiss」やセカンドの「We Cannot Falter」、「Deer In Headlights」など、彼独特の陰りのあるメロディーの曲が欲しかったところ。極端な言い方をすると、全曲「Girl In Grass」の亜流というか、爽やか一直線の曲ばかりがずらりと並んでいる感じがして、ひねくれ者の僕としてはちょっとひっかかりが少ない。5回ほど聴いた今のところの感想だけどね。

8月8日にシェルフライフからメルマガが届き、200枚限定だというLPを即座に注文したはいいけど、9月26日発売のそれが僕の手元に届いたのは先週の木曜日。航空便なのに。フィリピン、郵便事情悪すぎ。やっと郵便局から連絡が来て「関税がかかっているので払いに来たら渡してやる」とかいうから行ってみたら、関税とやらはたったの40ペソ(80円)だし。そんなはした金で人のLPいつまでも留めてるなよ。

いやそれにしても、手にとって間近で見るとほんとに綺麗なジャケ。これはLPにして正解だったね。ダウンロードコードもちゃんと付いてるし。と思いながらこの週末に近所のショッピングモールにあるCD屋に行ってみたら、予想通り出てるよ、フィリピン盤CDが。350ペソで。

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ダウンロードコードがあるから自分でいくらでもCD-Rに焼けるのに、CD屋でこのジャケ見たら、もうレジに持って行かずにはいられない。丁寧な作りの三方見開きデジパックだし。ユニバーサル・フィリピン、いい仕事するね。ついマサさんみたいなことしてしまった記念に、大小並べて写真を撮ってみた。このアルバムが今年の僕のベスト10に入るかどうかはまだわからないけど、ジャケット大賞とか企画したら、間違いなく一位だね。

渋谷での再来日公演には残念ながら行けなかったけど、マメに彼の全アルバムをリリースしているフィリピンにも足を運んでくれないだろうか。ユニバーサル・フィリピンに直訴してみようかな。


<10月27日追記>
うちの近所のCD屋では、このアルバムがマイケル・ジャクソンとかグリーン・デイとかに混じって店頭新譜紹介コーナーに並んでるよ。一体フィリピンの誰にそんなに人気があるのかわからないけど。
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2012年10月18日

Joe Henry / Lisa Hannigan / John Smith live in Tokyo

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ジョー・ヘンリーは、10年ほど前に『Scar』を聴いてすぐに過去盤をほとんど集め、その後も新作が出るごとにほぼ押さえているから、うちには相当数のCDがあるんだけど、曲名を覚えるほどには聴き込めていない、僕の中ではファンなのかそうでないのかいまいち微妙な位置付けのアーティスト。

リサ・ハニガンは、おそらくほとんどの人がそうであるように、僕もダミアン・ライスのアルバムを通じて知った。彼女の2枚のソロアルバムは、好きなんだけどダミアンの2枚ほどではないかなという程度。ファーストなんて、つい最近ダミアンファンの某氏に頂くまで聴いてなかったからね。

ジョン・スミスは、五十嵐正さんがあちこちで褒めておられるのを読み、(申し訳ないけど)中古で安く見つけて購入。とても気に入った曲もあったけれど、アルバム全体を通しては、僕にはちょっとブリティッシュフォーク色が強すぎるかなという印象があり、何度も聴き返すほどではなかった。

なんてのっけから告白してしまうほど、僕にとっては「もし観られたら観ておこうかな」という微熱程度の興味の3名。10月16日、渋谷DUOでの日本公演最終日。今週、というかこの月火ピンポイントで東京に出張に来て、当初予定されていた火曜夜の会議がキャンセルになったので、「観られるようだからじゃあ観ておこう」と、週末にチケットを押さえて出かけてきた。

アンコールを含めて20曲程度、ジョンがリードボーカルを取る数曲以外はジョーとリサがほぼ交互に半分ずつ持ち歌を歌う(1曲だけリサがジョーの曲を歌ったのと、アンコール2曲はカバーだった)。素晴らしい演奏とハーモニーはそれだけで存分に楽しめたけど、なんでこの人たちのアルバムをもっとちゃんと聴き込んでこなかったのかということが悔やまれる夜にもなった。

3日前に取ったチケットのわりには比較的早めに入場することができ、この会場にしては珍しくフロアに置かれた椅子席の隅のほうに座ることができた。あっという間に超満員になり、後ろや両脇は相当数の人混みだったから、これはラッキーだったね。悪名高いDUOの2本の柱も邪魔にならない場所だったから、ステージも端から端まで見渡せたし。

エミ・マイヤーという京都生まれアメリカ育ちの歌手が前座で4曲ほど。英語曲と日本語曲が半分ずつだったかな。曲によってベースとギターを持ち替えて伴奏をつける日本人のギタリストを従え、本人はキーボードを弾きながら歌う。少しつたなく、少し京都アクセントが混じる日本語MCがかわいかった。

7時開場・8時開演で、前座が20分程度。キーボードを入れ替えたりして、いよいよ本編のジョー&リサ、そしてサポートのジョンとロスが登場したのが8時45分頃。日本のライヴにしてはかなり遅めのスタート。まず初めにリードボーカルを取ったのはジョー。

アルバムで聴かれる薄皮をまとったような特異なサウンドではもちろんないけれど、一度聴いたら忘れられない、まぎれもないジョーの声だ。そこにリサとジョンが綺麗なハーモニーを重ねる。ジョーは自分の持ち歌のときは白いピックガードのついた黒いギターを弾く。リサはマンドリンをちょこんと抱え、ジョンは見た目ごく普通のアクースティックギター(ブランドまでは見えなかった)。

ジョーはサポートに回るときは別のギターに持ち替え(もしかしたらキーによって換えていただけかもしれないけど)、ジョンは自分のギターと最初にリサが使っていたマンドリンをとっかえひっかえ。リサはアクースティックギターに持ち替えたり、目の前に置いてあるアコーディオンみたいなキーボード(暗くてよく見えなかったけどあれなんだろう)を弾いたり、シェイカーを振ったりと大忙し。ドラマーのロスも、曲によってはウクレレを弾いていたね。

アルバムではレイ・ラモンターニュとデュエットしているリサの「O Sleep」をジョーとデュエットしてくれるのかなと思っていたら、確か6曲目あたりでジョーが後ろに下がり、リサとジョンが二人でその曲を歌う。ああ、確かに少しかすれたジョンの声のほうがこの曲には合うかも。単に声がレイ似ということだけど。

何曲目だか忘れたけど後半、ステージ上にジョンだけが残り、椅子に腰掛けて膝の上にギターを寝かせて演奏した曲が凄かった。右手でボディをパーカッションのように叩いたり弦を弾いたり、左手はネックにつけたカポの右側を触ったり左側をチョロチョロ弾いたり、とにかくギターひとつであれだけ多彩なことをやりながらあんなに迫力のある歌を歌えるなんて。確か僕はこの演奏をビデオで観たことがあるんだけど、実際に目の前で観るのは全然違ったね。あれできっと物販の売れ行きが相当変わったんじゃないかな。

曲間でのギターのチューニングに3人ともしっかり時間がかかり、おそらく日本人客はその間もじっと静かに待っているというのをこの10日ほどに覚えたからだろう、3人が3人ともばつの悪そうな顔をしていた。「待たせて悪いね、このチューニングの時間はなんとかならないものかね」とジョー。

全体的に照明が暗めだったせいもあるかもしれないけど、曲によってリサがまだ幼い少女のようにも何十年もキャリアを積んだ年配の女性のようにも見えたのは、ハスキーなくせによく通る、しかもちょっと甘えたような彼女の不思議な歌声のせいだろうか。前にダミアンのPVで見たときはあんまり印象に残らなかったんだけど、かわいい顔立ちだね。なぜか家政婦のミタを思い出す。それもにこやかな。それは普通に松嶋菜々子ということか。

本編を終え、ステージで4人が肩を組んで挨拶。すぐに割れんばかりのアンコールで再登場。「次の曲は僕らじゃない人が書いたんだ。ジャクソン・ブラウンがたった16歳のときに書いた優れた曲」とジョーが紹介して、「These Days」を。

その1曲でまた並んで挨拶して退場し、また大きな拍手で再登場。今度は最初から4人で肩を寄せるようにステージ中央に集まる。ギターを持っているのはジョン一人。「今年の初め、僕らは、そして貴方達は大切な人を失った。リヴォン・ヘルムだ」とジョーが紹介し、「The Night They Drove Old Dixie Down」へ。ジョンの簡素な演奏に乗せて、リサ、ジョン、ジョーの順でリードボーカルを取る。観客席からも、大合唱というには程遠いけど、合わせてコーラスを歌う声が聞こえる。

ジョーは最後まで三つ揃えのスーツを脱がなかったし、ジョンもネクタイをきりっと締めたままだったね。二人の間に立つリサの質素なワンピースと合わせて見ると、少し違った時代からタイムスリップしてきた人達のように思えた。まるで、ジョーのアルバムがいつも湛えているレトロな雰囲気のように。そうか、ジョーは生音を自分色に染める代わりに、少し暗めの照明も含めたこのステージ全体をプロデュースしたんだね。見事としか言いようがないよ。

リサの『Passenger』のジャケを模した、飾りのついたTシャツがほしかったけど残念ながら女性用しかなく(というかあからさまに女性用のデザインなんだけど)、泣く泣くごった返す物販を後に会場を出たのは、もう少しで11時になろうかという時刻だった。たっぷり2時間演ったんだね。

充実した夜だった。きっと、イントロを聴いただけで曲名が出てくるぐらいまで聴き込んでいれば、もっと深い楽しみ方もできたはずだったけど、それは自分のせいなのでしょうがない。昔、誰かが「ヴァン・モリソンを聴くことは『贅沢』である」と書いたのを読んだことがあるけど、この夜はまさにそんな感じだった。演奏それ自体は簡素なものだったけど、なんとも贅沢な時間を過ごせた。運よく東京公演の日に東京出張が入ってよかった。運よくその夜の会議がキャンセルになってよかった。きっと、音楽の神様ってほんとにいるんだよ。
posted by . at 00:30| Comment(3) | TrackBack(0) | コンサート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする