ジョー・ヘンリーは、10年ほど前に『Scar』を聴いてすぐに過去盤をほとんど集め、その後も新作が出るごとにほぼ押さえているから、うちには相当数のCDがあるんだけど、曲名を覚えるほどには聴き込めていない、僕の中ではファンなのかそうでないのかいまいち微妙な位置付けのアーティスト。
リサ・ハニガンは、おそらくほとんどの人がそうであるように、僕もダミアン・ライスのアルバムを通じて知った。彼女の2枚のソロアルバムは、好きなんだけどダミアンの2枚ほどではないかなという程度。ファーストなんて、つい最近ダミアンファンの某氏に頂くまで聴いてなかったからね。
ジョン・スミスは、五十嵐正さんがあちこちで褒めておられるのを読み、(申し訳ないけど)中古で安く見つけて購入。とても気に入った曲もあったけれど、アルバム全体を通しては、僕にはちょっとブリティッシュフォーク色が強すぎるかなという印象があり、何度も聴き返すほどではなかった。
なんてのっけから告白してしまうほど、僕にとっては「もし観られたら観ておこうかな」という微熱程度の興味の3名。10月16日、渋谷DUOでの日本公演最終日。今週、というかこの月火ピンポイントで東京に出張に来て、当初予定されていた火曜夜の会議がキャンセルになったので、「観られるようだからじゃあ観ておこう」と、週末にチケットを押さえて出かけてきた。
アンコールを含めて20曲程度、ジョンがリードボーカルを取る数曲以外はジョーとリサがほぼ交互に半分ずつ持ち歌を歌う(1曲だけリサがジョーの曲を歌ったのと、アンコール2曲はカバーだった)。素晴らしい演奏とハーモニーはそれだけで存分に楽しめたけど、なんでこの人たちのアルバムをもっとちゃんと聴き込んでこなかったのかということが悔やまれる夜にもなった。
3日前に取ったチケットのわりには比較的早めに入場することができ、この会場にしては珍しくフロアに置かれた椅子席の隅のほうに座ることができた。あっという間に超満員になり、後ろや両脇は相当数の人混みだったから、これはラッキーだったね。悪名高いDUOの2本の柱も邪魔にならない場所だったから、ステージも端から端まで見渡せたし。
エミ・マイヤーという京都生まれアメリカ育ちの歌手が前座で4曲ほど。英語曲と日本語曲が半分ずつだったかな。曲によってベースとギターを持ち替えて伴奏をつける日本人のギタリストを従え、本人はキーボードを弾きながら歌う。少しつたなく、少し京都アクセントが混じる日本語MCがかわいかった。
7時開場・8時開演で、前座が20分程度。キーボードを入れ替えたりして、いよいよ本編のジョー&リサ、そしてサポートのジョンとロスが登場したのが8時45分頃。日本のライヴにしてはかなり遅めのスタート。まず初めにリードボーカルを取ったのはジョー。
アルバムで聴かれる薄皮をまとったような特異なサウンドではもちろんないけれど、一度聴いたら忘れられない、まぎれもないジョーの声だ。そこにリサとジョンが綺麗なハーモニーを重ねる。ジョーは自分の持ち歌のときは白いピックガードのついた黒いギターを弾く。リサはマンドリンをちょこんと抱え、ジョンは見た目ごく普通のアクースティックギター(ブランドまでは見えなかった)。
ジョーはサポートに回るときは別のギターに持ち替え(もしかしたらキーによって換えていただけかもしれないけど)、ジョンは自分のギターと最初にリサが使っていたマンドリンをとっかえひっかえ。リサはアクースティックギターに持ち替えたり、目の前に置いてあるアコーディオンみたいなキーボード(暗くてよく見えなかったけどあれなんだろう)を弾いたり、シェイカーを振ったりと大忙し。ドラマーのロスも、曲によってはウクレレを弾いていたね。
アルバムではレイ・ラモンターニュとデュエットしているリサの「O Sleep」をジョーとデュエットしてくれるのかなと思っていたら、確か6曲目あたりでジョーが後ろに下がり、リサとジョンが二人でその曲を歌う。ああ、確かに少しかすれたジョンの声のほうがこの曲には合うかも。単に声がレイ似ということだけど。
何曲目だか忘れたけど後半、ステージ上にジョンだけが残り、椅子に腰掛けて膝の上にギターを寝かせて演奏した曲が凄かった。右手でボディをパーカッションのように叩いたり弦を弾いたり、左手はネックにつけたカポの右側を触ったり左側をチョロチョロ弾いたり、とにかくギターひとつであれだけ多彩なことをやりながらあんなに迫力のある歌を歌えるなんて。確か僕はこの演奏をビデオで観たことがあるんだけど、実際に目の前で観るのは全然違ったね。あれできっと物販の売れ行きが相当変わったんじゃないかな。
曲間でのギターのチューニングに3人ともしっかり時間がかかり、おそらく日本人客はその間もじっと静かに待っているというのをこの10日ほどに覚えたからだろう、3人が3人ともばつの悪そうな顔をしていた。「待たせて悪いね、このチューニングの時間はなんとかならないものかね」とジョー。
全体的に照明が暗めだったせいもあるかもしれないけど、曲によってリサがまだ幼い少女のようにも何十年もキャリアを積んだ年配の女性のようにも見えたのは、ハスキーなくせによく通る、しかもちょっと甘えたような彼女の不思議な歌声のせいだろうか。前にダミアンのPVで見たときはあんまり印象に残らなかったんだけど、かわいい顔立ちだね。なぜか家政婦のミタを思い出す。それもにこやかな。それは普通に松嶋菜々子ということか。
本編を終え、ステージで4人が肩を組んで挨拶。すぐに割れんばかりのアンコールで再登場。「次の曲は僕らじゃない人が書いたんだ。ジャクソン・ブラウンがたった16歳のときに書いた優れた曲」とジョーが紹介して、「These Days」を。
その1曲でまた並んで挨拶して退場し、また大きな拍手で再登場。今度は最初から4人で肩を寄せるようにステージ中央に集まる。ギターを持っているのはジョン一人。「今年の初め、僕らは、そして貴方達は大切な人を失った。リヴォン・ヘルムだ」とジョーが紹介し、「The Night They Drove Old Dixie Down」へ。ジョンの簡素な演奏に乗せて、リサ、ジョン、ジョーの順でリードボーカルを取る。観客席からも、大合唱というには程遠いけど、合わせてコーラスを歌う声が聞こえる。
ジョーは最後まで三つ揃えのスーツを脱がなかったし、ジョンもネクタイをきりっと締めたままだったね。二人の間に立つリサの質素なワンピースと合わせて見ると、少し違った時代からタイムスリップしてきた人達のように思えた。まるで、ジョーのアルバムがいつも湛えているレトロな雰囲気のように。そうか、ジョーは生音を自分色に染める代わりに、少し暗めの照明も含めたこのステージ全体をプロデュースしたんだね。見事としか言いようがないよ。
リサの『Passenger』のジャケを模した、飾りのついたTシャツがほしかったけど残念ながら女性用しかなく(というかあからさまに女性用のデザインなんだけど)、泣く泣くごった返す物販を後に会場を出たのは、もう少しで11時になろうかという時刻だった。たっぷり2時間演ったんだね。
充実した夜だった。きっと、イントロを聴いただけで曲名が出てくるぐらいまで聴き込んでいれば、もっと深い楽しみ方もできたはずだったけど、それは自分のせいなのでしょうがない。昔、誰かが「ヴァン・モリソンを聴くことは『贅沢』である」と書いたのを読んだことがあるけど、この夜はまさにそんな感じだった。演奏それ自体は簡素なものだったけど、なんとも贅沢な時間を過ごせた。運よく東京公演の日に東京出張が入ってよかった。運よくその夜の会議がキャンセルになってよかった。きっと、音楽の神様ってほんとにいるんだよ。