2007年07月02日

奇跡の軌跡

目立たなかった訳ではないけれど、気に留めていなかった。
僕にとって去年までの彼女はその程度の存在だった。
なのに、なぜだかどうしても今は気になってしまう。クラスの他の子たちと楽しそうにはしゃいでいるように見えて、次の瞬間には心がどこかに飛んでいってしまっているような。
授業中も何か別のことを考えているように見えて、でも先生に当てられたらソツなく答えているけれど、
彼女の本質は教室をずっと離れたどこかにあるような、そんな気がしていた。

彼女がいつも一緒に帰っている友だちが欠席したある日の帰り道、
僕は彼女に後ろから声をかけてみた。

「ねえ、ちょっと」
彼女は振り返らない。
すれ違った人がくすくすと含み笑いをしている。
完全に無視されている僕がよっぽどみじめに見えたんだろう。
ムキになって彼女の肩に手をかけた。
「待ってよ!」

ぎくっとした表情で振り返った彼女のロングヘアから
イヤフォンのコードがのぞいた。そういうことだったのか。
「ごめんなさい」
そういいながら彼女は慣れた手つきで両耳からイヤフォンをはずすと
「なに?」と穏やかに尋ねた。

「なに?」と訊かれても、とりたてて用事があったわけではない。
ただ、無視されていると思った意地から強引に話しかけてしまっただけなので
急いで話題を探した。
「何、聴いてたの?」

「これ?ブラインド・メロン」
てっきりバンドブームで雨後の筍のように出てきた日本人のバンド名かアイドルの名前が出てくると思い込んでいた僕は、彼女の思わぬ返事に驚いたが、水を得た魚のように話し出した。
「え?そんなの聴くの?いいよね、シャノン・フーンの声!」
「知ってるんだ、ブラインド・メロン」
「まあね」
大人びた彼女と共通の話題を持てたこと、しかもそれが自分がもっとも得意とする洋楽というジャンルだったことで僕の心は高揚していた。
彼女はそんな僕の気持ちに気付かないようでため息まじりにこうつぶやいた。
「なんで天才って生き急ぐのかしら?もったいないわよね」
「 …どういう意味?」

その瞬間、彼女は息を呑んで立ち止まり
あわててイヤフォンを耳に戻すと
「じゃあ」と言って小走りに駅へ向かっていった。

それが彼女と会話らしい会話をした最初だった。
1994 年、 10月のことだった。




休日をはさんだ次の日、教室に彼女の姿を見つけた僕は思い切ってまた声をかけてみた。

「ねえ、他にはどんな音楽が好きなの?」
「どんなのって・・・」
彼女はなぜか警戒しているように見えた。言いよどんでいるようだったので自分から水を向けてみた。
「やっぱり邦楽とかは子どもっぽくて嫌いなんでしょ?」
「そういうわけではないのだけど、前はよく聴いてたし・・・」
「前はどんなのを聴いてたの?」
矢継ぎ早に質問する僕に、彼女はため息をひとつついてから質問を返してきた。
「どんな音楽が好きかってことが、その人となりを最も雄弁に語るとか思ってる?」
「そういうわけではないのだけど・・・」
今度は僕が口ごもる番だった。確かによく知らない彼女に質問攻めは悪かったと思う。

うつむいた僕を気遣うように、彼女は言葉を続けた。
「あのね、音楽は全般的に好き。邦楽も洋楽も。でも、邦楽は現在のところ新鮮に感じないから今は洋楽をよく聴いてます。これでいい?」
なんとなく変な言い方だと思ったけれど、彼女の語気が柔らかかったのでどこかほっとした。
そして僕たちは、たまに会話をする間柄になった。その大部分は僕が持っているCD についてだったけれど。

やがて秋も過ぎて2 学期の期末テストが終わり、終業式が近づいてきた。
僕の関心はクリスマスに彼女をどうやって誘うかに占領されている。やはりここは適当なバンドのライブに誘うべきか、あるいは普通に映画でも見るか、この際目的はなんでもいい。この日の彼女を独占できれば、僕は彼女にとって目下一番近い存在であると言えるのではないかと思っていた。これまでと比べたら、彼女と僕との距離はぐっと縮まったけれど、相変わらず彼女の心がどこか遠いところにあるような雰囲気は続いていた。その不安を払拭したかったからだ。

ここは小細工なしで誘ってみると決めた。
「24 日は何してる?よかったらどこかに一緒に行かない?」
彼女は初めて僕が肩に手をかけたあの日のような、ぎくりとした顔をした。あの日初めてまじまじと見た、色素の薄い茶色の瞳が今日は何かを語ろうとしていた。

「あのね・・・今日、時間あるかな?」
意を決したように、彼女は切り出した。




ハードロックのかかる喫茶店のカウンターで
僕たちは並んで座っていた。
深刻な話をするにはちょっとうるさすぎるように思ったけれど
彼女がここを選んだのだから黙って従うことにした。

「あのね、驚かないでほしいんだけど」
「うん」
「私ね、28 歳で子どもがいるの」
「へ?」
もう少しでスツールから転げ落ちるところだったが、どうにか持ちこたえた。どこからどう見ても彼女は16 歳の普通の・・・確かにどこか大人びてはいるけれど女子高校生にしか見えなかった。

「ええと・・・」
「驚くなっていうほうが無理よね。私にもよく分からないのだけど、身体は多分16 歳に間違いないと思う。ある日、目が覚めたらこうなってたの」
「ごめん、もうちょっと分かりやすく教えてくれるかな・・・」
「うん、あのね、私は高校も出て大学も行って就職もして、そしてある人と出会って結婚して子どもも産んだ普通の主婦だったの。だけど、ある夜、いつものように子どもを寝かしつけてうっかり自分も眠ってしまって、お茶碗洗わなきゃ!って目覚めたら、実家の自分のベッドの上だったの」
「・・・うん」
「で、あれ?今、帰省してたっけ?と思って起きてみたら壁には見慣れた制服がかかっていて、リビングに降りていったら若々しい父と母がいて『早く着替えて学校に行かないと遅刻するよ』って言われたの」
「・・・それで?」
「何がなんだか分からなくって、とりあえず自分の部屋に戻って、鏡を見たら私もなんだか若くなってて、制服を着てみたらぴったりだったのね。だから高校に行ってみたの。そしたら友だちもみんな若くなっていて、 12年前とまったく同じ風景が広がっていた。誰も何もおかしいと思ってなくて、私にとっての衝撃的な『今日』が、みんなにとっては普通に昨日から引き続いている『今日』だったことに気付いたの。だから・・・その日は早退してみて、家でじっくり考えてみた」
「うん」
「私の夫は、子どもは、そして28 歳の私はいったいどこにいってしまったんだろうって、ずっと泣いてた。もうあそこには戻れないのかって思うともう悲しくて悲しくて・・・。でも、あることに気付いて諦めることができた。私がもういちどあの 12年を生きたら、またあの 28歳の私に戻れるはずだって」

「ええと、つまり、君は、この先の 12 年をすでに生きたって意味であってる?」

あまりの衝撃で頭にもやがかかっていた。しかしおぼろげながらも、僕は彼女の言葉を理解したのかもしれない。

「そう、最初に会話した日のこと、覚えてる?シャノン・フーンはね、来年死んじゃうのよ」
コーヒー牛乳はコーヒーと牛乳で作るのよ、くらいのなんでもないことのように彼女は僕にそう教えてくれた。




いつものひとつひとつ言葉を選ぶ彼女と違って、今日は饒舌だった。そうか、いつもは変なことを言わないように、頭の中で時代を判断していたのか。本当の彼女はおしゃべりで明るい人だったのかもしれない。

「私、考えたの。 28 歳の私に戻るためには私が生きた12 年を忠実になぞった生き方をしなくちゃって。友だちと普通におしゃべりして12 年来の親友になって、前と同じような成績をとって同じ大学に合格して、前と同じような人生を送らないとって。そうじゃないと、親友の同僚だった私の夫と出会うことができないもの」

僕は彼女の言葉を聞きながら、もうすっかり振られた気分になっていた。彼女の心を掴んでいたのは、彼女に一番近い男は、他でもない 12 年後の彼女の夫だったとは。

「でも、それって思っていた以上に難しいことだった。音楽のこともそう。私が昔聴いていたのは邦楽が主だったんだけど、28 歳になるころにはもうほぼ懐メロ扱いになって、『90 年代特集』なんて言われて何度も取り上げられるくらだから、正直飽きちゃってた。だから当時あまり聴いてなかった洋楽を聴いたりもしてた。こんなことしてたら未来が変わってしまうかもって分かってるのに、退屈に耐えられないのよね。ダメだわ、私って」

僕は恥ずかしながらもずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。
「あのさ、下世話なことを言うようだけど、競馬の結果とか株価とかそういうのを利用すれば君は億万長者にだってなれるんだよね?」

「あはは」彼女は手をひらひらさせながら笑って言った。
「競馬も株価もよく知らないから覚えてないわ。第一、私はそんなものには興味がないの。私の目的はあくまでも現状維持、っていう言い方も変か。あの28 歳の私に戻ること。そんなカルト的な能力で富を得たりして普通の幸せが望めるわけもないでしょう?ごく普通の男である夫が、そんな気持ち悪い女に近づいてくるはずないし」

「君は本当に旦那さんが好きだったんだね」
僕がそう言うと、彼女は残っていたレモンティーを一気に飲み干して言った。
「あの人と結ばれない限り、子どもには絶対に会えないからね」
彼女の目の端から光が一筋こぼれだした。

「今だって、あの人がどこにいるのかは知ってる。私のことは知らないわけだけど、会いに行こうと思えば会うことだってできるの。でも私はそんなことはしない。気持ち悪いストーカーだと思って嫌われたら困るから。あと、今の私にとって彼に対する思いはそれほど強くないというのもあるわ」

彼女が言外に何を言おうとしているのか、なんだか分かるような気がして、でもそれを口に出すのはおこがましいような気がして黙っていた。彼女の次の言葉をうつむいて待っていたが、いつまでたっても沈黙が、いや正確にはハードロックの爆音だけが続いているので顔をあげると、真剣なまなざしの彼女がいた。

「ねえ、私がこんな大事な話、どうしてあなたにしたと思う?」

そういえば、以前過ごした 12年を平穏になぞろうとしている彼女にとって、部外者である僕にこんな秘密を話すのは危険すぎる行為だった。彼女は続けた。

「あのね、あなた神戸におばあちゃんがいるでしょう?」

何か僕にとって嬉しいような言葉が続くと期待したのに、いきなり投げつけられた突拍子もない台詞に面食らった。確かにそうだけれど、それがいったい何の関係があるんだろう。

「今年のお正月は、どんなことがあってもおばあちゃんをこっちに呼び寄せて、それか家族旅行に出かけてください。お願いだから」
「え?いきなり何を言い出すのかと思ったら」
「お願いだから、お願いだから言うことを聞いて。私の言葉がどんな意味を持つか、なんとなく分かるでしょう?だからお願いします」

カウンターに額を付けて同じ言葉を繰り返す彼女を前に、僕はオロオロするばかりだった。

クリスマスどころか、冬休みの間、一日も会わずに僕たちは過ごした。学校が始まっても、彼女は僕を避けていた。ただ一日だけ、彼女が僕に話しかけてきた言葉がこれだ。
「おばあちゃんは?」
「お袋と熱海に温泉旅行中」
「そう、よかった」

そして僕たちが生きる時代の1995 年1 月17 日がやってきた。おばあちゃんの家は潰れて燃えてしまったけれど、僕たちは生きている。彼女が教えてくれた未来では、神戸のおばあちゃんが正月に餅をのどに詰まらせて亡くなり、その葬式に出かけた僕は震災の犠牲になったのだという。彼女は愛する子どもと出会えない危険をおしてまでも、僕の命を選んでくれた。彼女は言った。

「 28 歳の私と私の子どもは、こことは違う世界で今も幸せに暮らしていると思うことにした。私にはすでに生きた未来をなぞる生き方はできないの」

あの日以来、彼女は沈んで見えた。僕はその理由を、未来を操作してしまった罪悪感や後悔だと思っていたけれど、どうやら少し違うらしい。彼女の記憶によって僕の家族という命を救ってくれたけど、他の救えなかった多くの命のことを考えて苦しんでいるようだ。彼女の生きた 12 年、いったいどれほどの事件が起こってどれほどの命が消えたのだろうか。そして毎回毎回、彼女はその日を黙ってやりすごす苦しみに耐えなくてはならないのか。

相変わらず、彼女は僕を避けている。もう、彼女から僕にしてやれることは終わったという意味だろう。そもそも28 歳の精神を持つ彼女の人生に、16 歳の僕など入り込む余地があるはずもない。僕たちは以前のように、ただ同じ時間に同じ黒板を眺めるだけの間柄に戻ってしまった。

けれども、僕はここにいる。彼女が生きた12年にはいなかったはずの僕がここにいる。彼女が僕という歯車をこの世に残した以上、何もかもが予定された通りにはならないはず。それが無理だったとしても、せめて彼女の孤独感だけでも埋められる存在でありたい。

そして1995 年7 月、僕はやっと彼女に話しかけるきっかけを掴んだ。
「ブラインド・メロンの新しいアルバム出たね!」
「そうね、変なジャケ。なんでおじいさんなのかしら?」
まるで初めて見た人のように彼女はそう言って、僕に笑いかけてくれた。
「知ってたくせに」
「それが違うの。本当にあのジャケ、見たことがなかった」
僕が話しかける少し前から、彼女の生きた軌跡が少しずつずれ始めていることを感じていたのだという。彼女は『未来という過去』と完全に決別し、『過去になった未来』を生きる呪縛から解放されつつあったのだ。




そして僕たちの 12 年が過ぎ、僕の前には相変わらず彼女がいる。

「28 歳、おめでとう!やっと精神年齢に身体が追いついたって感じ?」
「精神年齢は、現在40 歳かもしれないけどね。まあ、このくらいの年齢になるとみんな『自称28 歳』になるらしいから、これでいっか?」
「いいと思うよ。僕は別に40 歳でも構わないし。っていうか今さらだよね。こんな台詞も」
「うん、ありがとう。じゃ、そろそろ行こうか」

そうして僕たちは部屋を出た。 1995年に亡くなるどころか、その後もずっと元気に歌い続けているシャノン・フーン率いるブラインド・メロンの来日コンサートに出かけるために。


おわり



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この文章は、僕のブログの一周年記念にと、大切な友達が素敵な記憶のリボンをあしらって送ってきてくれたものです。しばらく一人で楽しんでいたんだけど、やっぱり独り占めするには惜しくなり、皆さんにも読んでもらおうと思ったので、ちょっと時期を逸してしまったけれど、公開することにしました。下の方に埋めるけど、誰か気づいてくれるかな。


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